学歴コンプレックスなんか感じてる暇があったら勉強したほうがいい
こんにちは、鈴木くんです。
今回は僕の大学時代通しての失敗談について書きます。
僕は5つの大学・7つの学部の受験をしました。
関東では名の知れた国立大と私立大です。
結果として受かったのはランク的に下位2学部で、その一つに進学しました。
個人的には惨敗だと思っていて、しかも諦め半分で受けた国立大が僅差で落ちたこともあり、かなり引きずりました。
当分そんな感じだったので、大学に入学したときも「ダメな大学に入ってしまった」なんて思いながら通っていたのを覚えています。
プライドだけ高くて何もしてなかったポンコツ
大学時代(少なくとも前半)は、「自分は大学の中でも上のほうのはずだ」みたいな気持ち悪い感情を持っていました。
そのくせにプライドだけ高くてろくに勉強もせず、遅刻やサボりもするようになってかなり自堕落な大学生に向かっていきました。
ありがちと言えばありがちですが、ダメな大学生だったなあと今でも思います。
人を見下してると自分がバカになる
それなりの規模の大学に必ずいるのが、附属校からエスカレーターで入学してきた、いわゆる「附属上がり」。
「附属上がりは同士でガヤガヤしてて、のんきに大学に上がってきたアホ」なんていう話が通説のように流れてました。
僕もそんな噂を鵜呑みにして、プライドも手伝って見下していましたが、僕の周りにいた「附属上がり」の友達は全く当てはまりませんでした。
それどころか頭は良いし考えもしっかりしてて、到底及ばないくらいよくできた友人達。
結局できる・できないは個人の問題だから、高校がどこかなんて関係ないんですよね。
当時は人と自分を比べて相手を見下すことに溺れていましたが、今思うとそんなところから自分がバカになっていくんだろうなーと思います。
社会に出る直前にできる友達がけっこう大事だったりする
煩悩ばかりの大学生活だったので終始低空飛行していましたが、唯一友達に恵まれていたという自信だけは持っています。
大学だと、学部、ゼミ、サークルなど色んなところで友達ができますが、僕が一番関わりが深かったのは学部の友達でした。
ぶっ飛んでるけど考えはしっかりしていて、ふざけながらもお互いを思いやれる友達は今でも大事です。
あと社会人になってから思うのは、仕事に関係なく集まれる交友関係って必要だなーというところ。
変に気を使うこともなく、フラットに付き合えるコミュニティーがあると安心しますよね。
その意味でも、就職直前の大学時代の友人に恵まれたことは、僕の数少ない良い思い出です。
今時、やりたいことをやるのに環境にこだわる必要はない
「大学行ったらこれをやりたい!」ってものがなかった僕は、「とりあえずいい大学に行ければ」ぐらいで受験をしていました。
そのせいか、学歴コンプレックスを感じて過ごすばかりで特別何を成し遂げていたわけではありませんでした。
(一応宅建は勉強しましたが)
ただ、もし大学に入ってやりたいことがあり、それが自分の力で実現できるなら、大学名にこだわる必要はないんだと今更ながら思います。
英語を勉強したければ独学でできるし教室に通うこともできる。
資格を取りたいときも独学でできるし専用の学校に通うこともできる。
サークルに入りたければ大体の大学で入れるし、インカレサークルもある。
大学独自の強みがあるなら別ですが、ネットを活用すれば勉強も情報収集もできるこのご時世で大学にこだわる必要はないのかもしれません。
どんな環境にいても、やれることをやろう
大学生活を通して、「本当はもっと上の大学に行けたはずだ」なんてコンプレックスは何の役にも立ちませんでした。
むしろそれに足を引っ張られて結局何もしてこなかったなら、第一希望の大学に行っても同じことでしょう。
そして、「大学が〇〇だから良い・悪い」「周りがこうだからどうだ」なんてものは今の時代にそぐわないんですよね。
そんなことに振り回されずに、やりたいことを実現するために今の環境で何ができるかを考える方がよっぽど意味があるよなあと思いながら学生時代を振り返った鈴木くんでした。