「カフェで堂々と過ごせたら成人」説を提唱する
こんにちは、鈴木くんです。
カフェって、なんかおしゃれですよね。
響きがおしゃれなのか、店がおしゃれなのか、カフェという言葉自体がおしゃれなのかわかりませんが、それはそれはおしゃれ。
カフェがおしゃれなもんだから、カフェにいる人も皆おしゃれに見えます。
ヒョウ柄のおばちゃんだって、新聞片手に煙草をくゆらすおっちゃんだって、今時のお兄さんやお姉さんだってただひたすらにおしゃれ。
便利なんだけどねー・・・
そんなことはどうでもいいんですが、僕はカフェが苦手です。
嫌いじゃなくて、苦手です。
カフェは便利です。
ちょっと時間が空いたけど手持ち無沙汰だし、あちこち歩くのは疲れた、なんて時はちょうどいい。
でもいざカフェに入ると、挙動不審になっちゃうんです。
カフェという空間の中に、自分が馴染んでいない気がするんです。
初めて新宿駅に降りたときに路頭に迷うような感覚というか、柄にもなく高級なお店で食べるときの色々おぼつかない感覚というか、そんな感じです。
自分がカフェに行くこと自体違和感でしかないし、行ったら行ったでキョドる。
でも便利だから行くときは行くけど・・・の連続。
「便利って理由で行けるんだったら苦手じゃねーだろ」とも思いつつ、決して居心地が良くないのも事実。
だからこそ、違和感なくカフェに行けて、馴染んでる人がすごいと思ってしまいます。
飲み物1杯が高いと思ってしまう
この前、大きめのホテルの中のカフェに彼女と行きました。
そんなところは初めてだったのですが、行ってみてびっくり、1杯千円もするじゃありませんか。
さすがに普通のカフェでこの値段はないと思いますが、それでも1杯500円くらいしますよね。
しかも最近は「〇〇ラテ」とか「〇〇フラペチーノ」とかがあって、もっと値段が上がってるのを見ると、1杯290円の牛丼を食べて育ってきた平民of平民の僕にはカルチャーショックでしかなかったです。
「コーヒー1杯飲むなら卵付きの牛丼大盛食うわ」って彼女に言ったら、「心が貧しい」とか言われてだいぶイラっとしましたが、未だにカフェにおける価格設定についていけてません。
カフェを日常に組み込める人はすごい
カフェの空気感といい、田舎者が置き去りにされる価格といい、それをものともしない人達はほんとにすごいなーと常々思っています。
しかも中にはカフェをハシゴする人達もいるらしいじゃないですか。
僕からしたらとんでもないことです。
飲み物1杯にそれだけのお金を費やせて、カフェという空間を日常の中に組み込める人達はほんとにすごいと思います。
っていうかもう大人です。立派な成人です。
まあ結局何が言いたいかというと、
「カフェっておしゃれだよね」ってことです。
以上。